2022年5月16日より、「メルカリ物価・数量指数」の提供が始まりました。
本記事では、今回指数をメルカリと共同開発された、東京大学大学院経済学研究科及び公共政策大学院教授である渡辺安虎教授(以下、渡辺教授)へのインタビューをご紹介します。
前編では、教授以外にも東京大学エコノミックコンサルティング株式会社取締役も兼任されるなど、幅広い分野でご活躍されている渡辺教授の研究内容などについて聞いてみました。
「メルカリ物価・数量指数」とは
開発にご協力いただきました「メルカリ物価・数量指数」についてあらためてお教えいただけますか。
渡辺教授> 「メルカリ物価・数量指数」とは、フリマアプリ「メルカリ」上にあるカテゴリごとに、基準年月となる2018年1月と比較した現在の状況を、価格と数量それぞれについて毎月発表するものになります。
この指数を活用することで、二次流通市場で何が起こっているのかが明確に分かるので、トレンドの迅速な把握を目指すメディアや企業の商品戦略立案担当の方などに幅広く活用いただけるのではないかと思っています。
少しずつ広がりつつあるデータに基づく政策形成
先生はEBPM補佐官にも就任されています。内閣府によるEBPMの取り組みに代表されるように、データに基づいた政策形成の動きが広がっていると思いますが、こうしたデータ等に基づく政策形成について、どのようにお考えでしょうか。
渡辺教授> データを始めとするエビデンスに基づいて政策形成をしていこうという意識の変化は、民間だけでなく行政側にも起こっています。ただし問題なのは政策の効果を検証し改善していくためのデータが分野や政策によっては必ずしも存在しているわけではないこと、またデータを分析してエビデンスを作成するための人的資本の蓄積も課題です。
また、社会の状況が著しく変化する現代において、特にコロナ禍の状況で、どの政策が効果的かが事前にはわからない場面が増えています。そのような場合、完璧を求めることは困難なので、エビデンスに基づいて政策の効果を検証して改善することがより重要だと思います。
内閣府におけるEBPM*1への取組とは?
実証ミクロ経済学による個人の意思決定過程の分析
渡辺教授はどういった分野をご専門とされているのでしょうか。
渡辺教授> 私の専門は実証ミクロ経済学という分野です。
実証ミクロ経済学というのは、個人や企業など個々の経済的な意思決定を分析するミクロ経済学という分野の中で、データを用いて実証的に分析して理論を検証する分野です。
理論を作る側ではなく、理論を検証する方を選んだ理由などはありますか。
渡辺教授> 大学のミクロ経済学の授業だけを受けるとものすごく抽象的で、複雑な社会の現実を説明できるように思えないような印象を持たれることがあると思うのですが、大学院の時にそのミクロ経済学の道具を使ってデータに記録されている実際の様々な経済主体の行動を説明していくという研究を知り、非常に面白く感じました。経済学者というと、金利や物価など対象のスケールが大きいイメージがあります。教授はどのようなものを対象としているのでしょうか。
渡辺教授> 私は、個人や企業の個々の意思決定や、政策や施策が個人や企業に与える影響を分析の対象としています。例えば消費者・患者・医師・地方銀行・投票者・政治家・タクシードライバーといった様々な行動主体がどのようにして意思決定をしているのか、その過程をミクロ経済学のモデルで説明できるのか、できない部分はどこなのかということをデータから分析しています。
AIはスキルの低い人の生産性を上げる
個人の行動を対象とした研究として、最近はどのようなことをされているのでしょうか。
渡辺教授> AIがどのように生産性に影響をあたえるのか、という研究を東大の同僚の川口大司さん、重岡仁さん、内閣府の金澤匡剛さんとしています。具体的には、需要予測に基づいてタクシードライバーに運転ルートを提案するAIが、タクシードライバーの生産性や仕事にどのような影響を与えるのかという研究です。
AIと仕事というと、「Xという職業は将来無くなる。」といった話がよくされますが、より丁寧に、同じ職業の人でも個人によってどう影響が異なるかを知りたいという関心です。特に、これまでのITやロボットといった新技術はスキルの高い人の生産性を伸ばし過去数十年にわたる所得格差の拡大の原因であるとも考えられてきたのですが、AIという新技術はどのような人の生産性を伸ばすのかというのが大きな関心です。
今回の研究ではAIによりスキルの低い人の生産性が上がる一方でスキルの高い人には影響がなく、ITやロボットとは逆に、AIは格差を減少させることが分かりました。今回は同じ仕事の中で、人によってどうAIの影響が異なるのか、という今までにない視点を示すことができた点に研究としての新しさがあります。
他にも脳科学の研究者と一緒に機能的MRIという脳活動を計測する装置を使った実験研究を最近ではしています。これは、被験者の方に機能的MRIの中に入ってもらった状態で経済実験を行い、情動がどのように経済的な意思決定に影響を与えるのかを脳の情報を用いて分析する、という研究です。
子供医療費無償化は選挙のタイミングで回りの自治体に追いつくように広がっていた
先程個人の意思決定が研究の対象とおっしゃっていましたが、政策に関わるご研究はされていますか。
渡辺教授> はい、今は東大の公共政策大学院の同僚の重岡さんと、子供の医療費無償化に関する研究をしているところです。子供医療費の無償化は市区町村レベルでこの15年ほどで一気に広がり、当初は6歳までの無償化だったところが、多くの市区町村で15歳や18歳までの無償化をしていたりします。
経済学者としては、何かを無料にするとおかしなことが起きると考える訳ですが、重岡さんの別の研究で、無料にすると必要のない受診が増える一方、子供の健康状態の改善には関係がなく、むしろ無駄な支出だけが増えることが分かりました。とすると、なぜこのようなポピュリスト的な政策が一気に広がったのか、と考えて初めた研究です。
データを見てみると、この政策は単にじわじわと広がっていったのではなく、市区町村の選挙のタイミングで広がっていったことが分かりました。さらに、選挙のタイミングで単純に広がるだけではなく、周りの市区町村より対象年齢が狭い場合(例えばA市では9歳まで無償なのにB市では6歳まで無償である場合)に特に、選挙のタイミングで一気に広がっていったことが分かりました。選挙の時に他の市よりいまいちだと思われたくない、という政治家の行動がこのポピュリスト的な政策を広める要因になっていることをデータから示しました。
このような研究がより市民に伝わると、選挙の際の市民の判断に影響を与え、より市民の意見が反映された民主主義が実現できるのでしょうか。
渡辺教授> そうだとよいのですが、それは一概に言えないと思います。そもそも市民の意見が反映されるといっても、人によって意見が大きく異なります。そのような時に、選挙がどのように民意を反映するのかは難しい問題です。
任意投票では、投票コストの高い人は投票しないため、そのような人の意見は選挙結果に反映されにくくなります。すると、どのような意見や政治的な考えの人の投票コストが高いのかが、選挙がどのように民意を反映するかを考える上では重要になります。実は、選挙のデータを使って、どのようにそのことを考えたらよいのかという論文も書いています(笑)。
大学の知識をさらに世の中に使ってもらうために
先生は、東京大学エコノミックコンサルティング株式会社取締役もご兼任されています。大学がコンサルティング会社を設立することは、日本でもあまりない例ですが、設立の背景について教えていただきたいです。
渡辺教授> 経済学が社会に使える学問になってきていることから、その社会実装を進めるべく、東大の経済学研究科のイニシアチブの下で、東大の子会社として東京大学エコノミックコンサルティング株式会社は設立されました。実際に経済学を社会実装していくにあたり、大学として行うよりも会社として行うほうがより効果的・効率的だろう、という考えから設立されました。
大学自身が企業をやることの意義は、大学の知識を世の中に使ってもらうことにあります。その役目を今後も担っていきたいと思います。
後編では、渡辺教授とメルカリが共同開発した「メルカリ物価・数量指数」*2について詳しくお聞きしていきます。
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プロフィール
渡辺 安虎(Yasutora Watanabe)
東京大学 大学院経済学研究科 及び 公共政策大学院 教授、東京大学エコノミックコンサルティング株式会社取締役。愛知県常滑市出身、東京大学 経済学部 卒、ペンシルベニア大学 Ph.D.。ノースウェスタン大学 ケロッグ経営大学院 助教授 、香港科技大学 HKUSTビジネススクール 准教授 、アマゾンジャパン合同会社 シニアエコノミスト・ 経済学部門長などを経て2019年7月より現職。2020年8月からは東京大学エコノミックコンサルティング株式会社取締役を兼任。