3月11日で、東日本大震災から10年が経過しました。
そこで、メルカリ政策企画チームでは、「被災地のこれまで、今、そしてこれから」を紹介していきます。
3回目の今回は、岩手県陸前高田市です。
陸前高田市は、岩手県の沿岸部最南端に位置しており、岩手県の中でも温暖な気候で、冬の降雪量が少なく、「岩手の湘南」と呼ばれています。人口約18,000人のまちです。
広田湾産いしかげ貝や広田わかめ、広田湾の栄養豊富なプランクトンを餌にするカキなどの産地として、海のイメージが強い陸前高田市ですが、市面積の8割を山林が占めており、林業も盛んなまちです。
東日本大震災の発災から10年。この10年をどう過ごし、どう未来を描いているのか、陸前高田市の阿部勝 地域振興部長さんにインタビューしました。
陸前高田市 阿部 勝 地域振興部長 東日本大震災の影響(ゼロからまちづくりを進めた10年) 横山> 3月11日で東日本大震災から10年を迎えます。陸前高田市にとってこの震災がどういうものだったかお聞かせください。 陸前高田市 阿部部長(以下、陸前高田市)> 岩手県の沿岸部はリアス式海岸で海沿いに急な坂があることが多いです。しかし、陸前高田市は平地が広がっている地域で、震災ではこの平地に広がっていた市街地が津波により全部流出しました。 横山> この10年で、とくにご苦労された点についてお聞かせください。 陸前高田市> 国の復興事業はメニューが限られていました。当初は何よりも安全なまちづくりを重視し、従来は5.5mだった防潮堤を12.5mのものとすることを前提に、市街地も10m前後に嵩上げしました。その事業に使える国の復興事業のメニューが、「被災市街地復興土地区画整理事業」のみでした。 土地区画整理事業ですので、大変時間がかかりました。その結果、事業推進を待てずに市外に転出される方々も多くいらっしゃいました。 また、元々住んでいた場所と異なる場所に移り、自力で生活再建される方々も大切にしてきました。そうした様々な事業に時間を要したことが苦労した点でした。 住民の皆様も時間との戦いでした。長い時間待てない方も当然いらっしゃいます。あるいは、今後のまちがどうなるかわからない状況の中で商売そのものを諦めてしまわれる方もいらっしゃいました。 行政はもちろん、市民・商業者とも、将来の先行きがわからない中で悩みながら頑張ってきた10年だったと思います。 横山> この10年でまちの姿は当然ながら大きく変わったと思いますが、その他に大きく変わったこと部分はございますか? 陸前高田市> まちの姿は当然変わりました。 元々、平地部にまちの中心部となる昔からの商店街がありましたが、2009年までに市南部の高田松原に国道のバイパスができ、ロードサイド型の商店が立ち並んだことで、まちが二極化していました。昔からの商店街はいわゆるシャッター街で、活気に欠けていました。 また、市のシンボルは、2kmの砂浜と7万本の松があるとても美しい松林「高田松原」でした。 しかし、津波でその松林も市街地も全て流出してしまいました。 震災後の10年で、高田松原は再生されてきましたし、そのエリアに「津波復興祈念公園」もできました。また、商業エリアは嵩上げされたところにコンパクトに集積されていきました。 こうした震災以降のまちづくりは、当初計画したとおりに進んでいる状況です。 まちの姿は大きく変わりましたが、意欲的な方々が中心部に集まっており、以前よりも活気のあるまちになってきていると思います。 津波復興祈念公園 横山> 震災と復興の経験を後世に伝えていくという活動もされているとお伺いました。その活動についてもお聞かせください。 陸前高田市> 様々な方が震災の事実や教訓を伝えようとする活動をされています。民間では、避難道にハナミズキを植える活動をしている方々や、津波の到達点に桜の木を植える活動をされている方々などがいらっしゃいます。また、津波の事実を文字にして伝承されている方々もいらっしゃいます。 行政としても、岩手県が、高田松原の津波復興祈念公園の中に「東日本大震災津波伝承館」を作りました。こちらは、大変多くの方々に訪問いただいています。また、市としても津波復興祈念公園の中に数多くある震災遺構のうち、以前の道の駅と気仙中学校の中に入れるようにします。内部のがれきを震災当時のままに保存しているので、津波の威力・恐ろしさを肌で感じていただけるようにしています。 この様に、行政・市民とも様々な取り組みで震災・津波の事実や教訓を後世に伝えようとしています。 後世に伝える取り組み(震災遺構) 陸前高田市の魅力(地域ごとに異なる文化、震災をきっかけに生まれたつながり) 横山> 陸前高田市の魅力についてお聞かせください。震災前と変わらない魅力、震災以降に魅力になったことがあるのではないでしょうか。 陸前高田市> 陸前高田市は、岩手県の三陸海岸の中では最も南に位置するまちで、県内でも暖かい場所にあります。また、海も山も川も揃っている自然豊かな住みやすいまちです。 市内のまちごとの文化も独特なものが根付いています。そうしたところは震災以前から変わっていません。 それに加えて、震災復旧事業の中で、中心市街地、高田松原の復興祈念公園のエリア、あるいは新しい運動公園、ワタミグループによる農業テーマパークの「オーガニックランド」を整備してきました。こうした魅力ある施設が半径1km以内に整備されています。 また、このエリアには、御縁があって、隈研吾氏、内藤廣氏、伊東豊雄氏といった著名な建築家による建物を建てることができました。建築物が好きな方にはたまらないと思います。 隈研吾氏が設計デザインを担当した「まちの縁側」 今から2年半前に「まちびらき」をしました。その時、陸前高田市を支援いただいた行政、企業、プロスポーツクラブも含む団体など様々な方々をお招きしました。その関係が今でも続いています。 まちびらきの様子(2018年9月) ハードの魅力はもちろん、震災復興をきっかけに生まれた企業・団体等とのつながりもまちの魅力であり、今後の大きな力になると考えています。 横山> 自然豊かで、45の地域資源が登録されている中で、気仙川での鮎釣りや氷上山でのハイキングなど、様々な体験ができるのも魅力ですね。 陸前高田市> 私はこの陸前高田市で生まれ育ちましたが、本当に良い場所だと思います。美しい自然だけでなく、地域の文化も、「うごく七夕まつり」や「けんか七夕まつり」なども含めて、多様な文化がしっかり根付いている。人口は減少していますが、地域ごとに人が住み続けて文化が伝承されているのも魅力だと思っています。 できれば、観光で訪れていただくだけでなく、少しの期間滞在していただけると陸前高田市の良さが分かっていただけるのではないかと思います。 陸前高田市の抱える課題(区画整理で生じた空き地の有効活用) 横山> 魅力がある一方で課題に感じている部分もあると思います。そうした点についてお聞かせください。 陸前高田市> 少子高齢化や地域経済の厳しさといった課題は元々ありました。そうしたことはしっかり対応したいと思っています。 それ以外に課題だと思うのは、復興事業で区画整理事業を行った際に生じた当面利用予定のない土地の有効活用です。この土地はむしろ伸び代のある財産だとも思っています。 まちに住まれる方は既に住宅を再建している、あるいは災害公営住宅に入っていらっしゃるため、住むことに関しては一段落しています。そうした中で、当面利用予定のない土地を如何にしてまちの活性化につなげるように利用促進していくかが大きな課題です。 例えば、事業所の誘致が考えられます。また、先日、三陸沿岸道路も仙台市まで開通したため、宮城県や岩手県釜石市が通勤圏内となりました。そうしたところで仕事をされる方がこの空き地に住宅を建てるというようなことも考えられます。 市内の航空写真 これからの陸前高田市 横山> 空き地の有効活用も含め、復興が新たなステージに入っている様に思いました。そうした中で、今後の展望についてもお聞かせください。 陸前高田市> 元々自然環境豊かで住みやすい土地でしたが、復興事業の中で、震災前にはなかったハードや人とのつながりといった多くの魅力が新たにできたと思っています。今までの10年間は復興のために必死でしたが、これからは、復興の中で生まれたそうした資源や財産を使って、交流人口や関係人口を軸に、人・モノ・金の流れを作っていくことが大事だと思っています。 実際に、震災後に陸前高田市に様々な意思を持って移住された若い方々が大勢いらっしゃり、いろいろな事業所、NPO、農業、漁業などでも活躍しています。そういう新たなプレーヤーの新たな力をお借りしてまちづくりを進めていく必要があると思っています。 新たなプレーヤーの活躍 横山> 「ノーマライゼーションという言葉のいらないまちづくり」に力を入れていらっしゃるとお伺いしました。その取組についてもお聞かせください。 陸前高田市> 市長が強い想いで、「ノーマライゼーションという言葉のいらないまちづくり」をテーマに掲げ、意識しなくても「ノーマライゼーション」が自然に共有できているまちを目指しています。10年間そうした取り組みをしてきて、行政が作るハード施設はもちろん、民間の皆様が作る建物も、全て障がい者・高齢者に優しい造りにしていただいています。 また、ハードだけではなく、そこで生活し働いている方々が優しい心遣いで人に接する「ユニバーサルマナー」にも取り組んできました。 そうしたことを続けてきたことで、障がい者の雇用なども浸透してきています。もともと優しい人が多いとは思っていましたが、皆で意識しながら「ノーマライゼーションという言葉のいらないまちづくり」が広がってきていると思います。 ノーマライゼーションという言葉のいらないまちづくり メルカリ寄付の活用について 横山> 陸前高田市は、3月11日からメルカリ寄付の寄付先に加わっていただきます。この寄付をどの様に活用されるかお聞かせください。 陸前高田市> この度はメルカリ寄付の寄付先に追加頂き、ありがとうございます。 少子高齢化や、地域の交通の課題など、本市は「課題先進地」とも言えると思います。そうした中で、陸前高田市が課題を解決し、それを発信することが全国の多くの自治体にも裨益することだと思っていますし、甚大な災害を受けて復興に向けて動いている姿を広く発信することが自分たちの役目だと思っています。 寄付金は地域課題の解決のために使い、良い事例ができれば全国に発信して、皆様にお返しできればと思っています。 横山> 今回はメルカリ寄付で御縁を頂きましたが、地域コミュニティの維持のためにメルカリ教室なども活用いただければと思いますし、まずは、メルカリ寄付が地域課題の解決の一助につながればと思っています。本日はありがとうございました。 メルカリ 横山
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メルカリでは、今後も陸前高田市とも連携させていただき、メルカリ教室の開催や、教育プログラムを提供しての実施をしていくことでさらなる復興のお手伝いができればと思っています。
また、インタビューでもご紹介したように、陸前高田市は、3月11日より「メルカリ寄付」の寄付先に加りました。
ご自宅に役目を終えたもの、お使いになっていないものなどございましたら、是非、「メルカリ」に出品していただき、この「メルカリ寄付」を使って、全国の皆さんの思いを陸前高田市に届けていただければと思います。
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横山 竜一 (Ryuichi Yokoyama)
メルカリ会長室政策企画。2020年4月から1年間、岐阜市からの派遣研修としてメルカリ政策企画に加わる。岐阜市には1999年4月に入庁し、主に福祉部局にて管理部門を担当。派遣直前は秘書課にて秘書業務を担当。メルカリでは、自治体経験を活かし、主に自治体連携の取り組みやメルカリ寄付を担当。